・気は誰でも持っている
気は人間の心と身体を活動させるエネルギーです。ですから気が流れていない人間は、一人もいません。外気功は他人に気を使って施術する事ですが、これ自体は
決して特別な特殊能力ではありません。健常な身体を持っていれば、誰でもボールを投げる事が出来ます。けれども才能があって訓練を積んだ人と、そうでない人と
の間では、雲泥の開きがあります。普通の素人が何の訓練もなしにいきなりボールを投げても、せいぜい110キロ程度が限界です。才能があって訓練を積んだプロ
には、決して適いません。
気功の世界も、実は同じです。まったく訓練をしていない状態であっても、遅い山なりのボールなら投げられるように、外気功を施す行為自体は可能なのです。
ただそこには、段階やレベルに個人差があるという当り前の現実があります。
・陥りがちな落とし穴
空気を自分の所有物だと思っている人は、よほど物欲が強いのでしょう。通常はそんな意識を持たず、吸って吐き出して循環しているようなイメージがあると思い
ます。ところが気に関しては、自分の所有物のように認識されている方が、プロの中であっても多い。文章や発言の中に「私の気」といった表現が出てくれば、間違
いありません。
気はエネルギーであって、世界を循環するものです。たまたま自分の身体に流れていても、それは決して自分の所要物ではありません。そのように認識をしてい
る人が外気功を行うと、自分の中にある気を相手に与える結果になります。気が不足した身体では、身体機能は当然落ちます。外気功をし過ぎると、自分自身の健康
を損なうのです。優秀と言われる気功師が潰れて廃業してしまう、典型的な原因です。
・気は与えるものではなく、循環するもの
個を分ける物は、何でしょうか? それは連続性がなく分断された状態にあるという認識です。自動車も出来上がる前の部品の段階では、エンジンもタイヤも一つの個
として認識されます。これが組み上がって自動車という形になった時に、連続性の認識が生まれて自動車という個が誕生します。部品は個を構成する要素という認識に変
わります。
人間も物質世界では連続性がなく、それぞれが独立した個です。ところが気というエネルギーから見ると、人間同士は連続性を持って繋がっています。それどころか、
世界全体が一つの個であり、万物が一体であるという認識に到達します。一人一人の人間は独立した個ではなく、宇宙(世界全体)を構成する要素となります。つまり
人間は気というエネルギーから見れば繋がっており、他人と自分とを完全に分ける境界線は存在しないのです。
気は絶えず世界を循環しています。外気功の極意とは、自分の気を与えるイメージにはありません。無為無我の境地から、滞っている気の循環を取り戻す装置として機
能する事にあります。気を流そう、送ろう、治そうとする意識は、むしろ理想的な循環の妨げとなる場合が多いのです。
・良い気功師になるには?
気を使って他人を施術した段階で、広い意味で気功師と表現できます。けれどもどうせなら、より良い気功師になりたいと、誰もが願うはずです。内気功を用いたトレー
ニングも有効ですが、それで得られるものは、あくまでも優秀な気功師になり得るスタートラインにつく資格程度に認識してください。
より良い気功師にその人を導くのは、
肉体・精神・霊性、この三者の複合的な成長です。生活態度を改めて健康な肉体に導く、辛い人生の試練に立ち向かって乗り越える、自然体の自分に到達する、人との
出会いとコミュニケーション、トラウマから解放される、など、その人を成長させる物は、実に様々です。逆に気功の事などまったく興味のない人が、この三者の高さから、
本人も知らずの内に結果として素晴らしい気功師となっている場合すらあるのです。
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